SPECIAL
07/20/2010 UPDATED
今回のスペシャルインタビューでは、ストリートアーティストから現代美術家まで様々なアーティストが“交差”し、盛況のうちに幕を閉じた「六本木クロッシング2010展」でキュレーターを務めた窪田研二氏にインタビューを敢行した。
以下の経歴を見てもわかるように、数々の展覧会で注目を集めてきたキュレーターである窪田氏に、今回の「六本木クロッシング2010展」からストリートアートの魅力についてまでを“キュレーターの言葉”で語ってもらった。
(以下文中敬称略)
インディペンデントキュレーター、KENJI KUBOTA ART OFFICE代表。
1965年東京生まれ、上野の森美術館、水戸芸術館現代美術センター学芸員を経て現在に至る。
1997年より「アートリンク上野・谷中」を主宰(2000年まで)。「日常茶飯美-Beautiful Life?」「孤独な惑星-lonely planet」「X-COLOR/グラフィティ in Japan」他多数の展覧会キュレーションをおこなう。2007年には広島市現代美術館のゲストキュレーターとして収蔵作品の購入価格を公表する日本初の展覧会「マネートーク」を企画。2008年はTBS主催「赤坂アートフラワー08」アートディレクター、「横浜トリエンナーレ2008」関連プログラムマネージャー、「シンガポールビエンナーレ2008」ディレクターアシスタント、2009年「堂島リバービエンナーレ2009」キュレーター、「Twist and Shout-Contemporary Art from Japan」キュレーター/BACC(バンコク)、2010年「六本木クロッシング2010」キュレーターを務める。現在、東京とシンガポールを拠点に活動中。
KENJI KUBOTA ART OFFICE: http://www.officekubota.com/

■ 「六本木クロッシング2010展」キュレーター窪田研二スペシャルインタビュー
〜新たな可能性を探る〜
Interviewer:yuma okubo
RED one PRESS (以下R):
まずキュレーターの仕事について話して頂けますか?
窪田研二(以下K):
まぁ一般的に言えば、展覧会を構想して、テーマを考えて、アーティストを決めて、アーティストと交渉して、展覧会を実現させる。というのがキュレーターの仕事になりますね。最終的には如何に良い展覧会をするかというのがキュレーターの役割だと思います。
それをやっていくには、アートに対する知識やネットワーク、それからアーティストとの信頼関係も勿論必要となりますね。
キュレーターはアーティストあっての職業みたいなところはあるし、常にどんなアーティストがどんなものを作っているかというのを見ながら、それに触発されて「こんな展覧会を作ってみたい」という考えを持つわけですね。でも勿論それだけではダメで、今僕らが生きている時代に対するアンテナというか、社会的な意識、現状分析的な部分も合わせて持っていないとリアリティのある展覧会というのは作れないと思います。アートにどっぷりのめり込むことも必要なんだけども、一方ではすごく冷静になって見ていなくてはいけない。
そういう全てをもって展覧会のクォリティを高めていくっていうところでしょうかね。
だいたい僕が展覧会を作る時は、ゴールが見えていて、そこに真っすぐ向かっていくというのではなくて、新しく実験的な要素を混ぜていって、どう化けるかわからないようなものをやるようにしています。そこでやっぱり誰もやっていないようなことだったり、どうなるかわからないような要素を入れていないと自分でも面白いものだと思えないので。

K:それで今回の「六本木クロッシング2010」っていう展覧会の構成っていうのが、3人のキュレーターで展覧会を作るっていうものだったんです。
展覧会自体は3年に1回やっていて、「日本の今のクリエイティブシーンを切り取りましょう」という形で過去2回やっています。1回目は57組のアーティスト、2回目は36組の参加で。そして今回は20組。
今回何故ここまで絞っているかっていうのは、これまでのクロッシングっていうのは、複数のキュレーターがそれぞればらばらに自分の推薦する作家を選んで並べるという形で行われていたんですよ。それはある意味断片が見られるっていう部分では良いと思うのですが、展覧会としてはあまりまとまりがないなと思って僕は見ていたんです。
それで今回のキュレーターとして僕にオファーが来た時に、キュレーター陣3人で会って、もう少し一人一人の作家の世界観が伝わるものにしたいということを話し合ったんです。それともう一つ、各キュレーターが作家をばらばらに選ぶのではなく、一つのテーマを持たせてそれぞれが作家を推薦し、その案に対して3人でディスカッションをして、全員が合意した上で展覧会を作りましょうという話をしました。

R:では今回の展覧会のテーマとなっている「芸術は可能か?」という言葉に関して説明して頂けますか?
「芸術は可能か?」という言葉は展覧会のテーマを決める時に一つのフックになった言葉だったんです。
これはダムタイプというパフォーマンスグループがいて、そのリーダー的な役割をしていた古橋悌二さんという方が、94年頃に「S/N」という公演をやった時に提出したのが、この「芸術は可能か?」というテーゼでした。
その時代ちょうど日本はバブルがはじけて、政治も経済も不安定になって、世界的に見ても不安定な状態で。更に彼は当時HIVに冒されて、いろんなものが不可能に思える時代に、「芸術は一体可能なのだろうか」というテーマを疑問として投げかけたんです。
それで、その当時の状況と2010年の今の日本の状況というのは果たしてどれだけ変わっているのかという疑問が僕らの中にありました。日本の情勢は94年頃とあまり変わっていなかったり、むしろ似ているような状況なんじゃないかって。

そしてアートの世界でいうと、90年代前半くらいから現代美術が世界的にすごく注目され出して、マーケットもどんどん膨らんでいったんです。それがいわゆるアートバブルって呼ばれるもので、世界中でアートフェアが行われて作品の価格が高騰したんです。
そういう状況が続いてきて、それが08年10月のリーマンショックを機にはじけたんですよね。
それまでの15〜16年の間にアートの世界というのはどんどん資本主義の中に入っていって、“マーケットで評価されるアーティスト=良いアーティスト”という風潮が出来てきました。
それを今回のキュレーター同士で、「アートというものは本当にこれで良いのだろうか?」と話し合いました。
マーケットでは認められていなくても良い活動をしているアーティストはたくさんいるはずで、むしろそういったアーティストに今回注目して、それに対して「芸術は可能か?」という言葉をオーバーラップさせたいという思いがあったんです。
それともう一つは、美術館やギャラリーといった白い箱の中で作品を発表して、芸術を見に来る人のために作品を作るっていう活動とは対極にあるストリートでの活動というのは、やっぱり可能性としては非常に大きいと思っていたんです。
どうしても美術館やギャラリーという場所は一部の人しか行かない場所ですよね。そうではなくて街中に突如として作品が現れるような、そういう形態を模索しているアーティストたちの可能性や、社会への批評性などは非常に大きいと思っていて。

R:そのストリートアートの可能性とはどのようなものだと考えていますか?
K:それは今回の展覧会のキュレーションのテーマの一つにもなっていた「社会への言及」というところへも繋がっていくと思うんだけど、路上で生まれた表現というのはアートだけではなくて、例えば大道芸だったり政治的なデモだったり、そういうものも全部ストリートにおける表現って括ることは出来ると思うんですね。路上だけでなく公共圏で何かを表現するという行為は、既に社会的な行動になってしまっているわけですよ。好むと好まざるとにかかわらず。
その中でストリートアートというのは、社会的なメッセージを送る人もいれば、例えばHITOTZUKIのようにラインと絵柄で何かを表現して、道行く人たちに何かを伝えようとしている人もいる。
その絵柄自体に政治性や社会性がなかったとしても、その行為自体が既に社会的な行為になっていて。
アートを見ようとして見ている人ではない人に対して、突然何かを見せることで、それを見た人の世界観や価値観がちょっとずれたり、何かにはっと気がついたりすることっていうのは、やっぱり表現の根本としてアート作品が常に目指していることだと思うんですよね。
僕はストリートアートのそういった部分にすごく可能性を感じています。
今やっぱり美大なんかに行っている子たちでも、有名アーティストの誰々みたいになりたい!とか、早く画廊と契約して作品売って有名になりたい!とかそういうモチベーションでやっている人っていうのはすごく多くて、如何にマーケットとアートがイコールになっちゃってるかっていうのがあって。
そこから創造性ってものはあまり生まれて来ないんじゃないかなって気がするんですよ。そういう場面に対するアンチテーゼというのもこの展覧会の隠れテーマとしてあったりするんですけどね。
勿論マーケットを100%否定する必要はないと思います。マーケットがなければアーティストのほとんどは生きていけないわけですし、アート界自体も回らないというのは事実ですから。

R:最終的な目的がそこだけに絞られてしまうのが、あまり良くないということですよね?
K:そうそう。どうしたらウケるかとか、どうしたら話題になるかとか、そういうことだけに想像力を働かせてしまうと、それはもう商品生産のサイクルに入っていってしまうことだから、そうなってしまったら長い目で見た活動はほとんど出来ないでしょうね。
そして僕がいつも言っているのは、公立の美術館というのは税金で運営しているわけだから、本当は公立の美術館こそがマーケット外のアーティストにどんどんお金を出して展覧会をやらせるっていうのがミッションじゃないかって。
それなのに公立の美術館というのはマーケットでウケているアーティストの後追いの展覧会しかやっていないから、「それじゃダメでしょ」っていう話しをよくしているんですよ。
R:なるほど、それはあるかもしれませんね。
では窪田さんはHITOTZUKIのような活動をするアーティストのことはどのように捉えられているのでしょうか。
K:ストリートアートやグラフィティっていうものは美術の世界とやっぱり離れていると思うんですよ。お互いがお互いをよく知らなく、接点もあまりないという現状があって、でもHITOTZUKIはそういうところの架け橋になりうる可能性を一番持っているアーティストだと僕は思っているんです。
現代美術の文脈で語ることの出来るような活動も一方でやりながら、他での活動も精力的にやっていくっていうのが、今後すごく意味があるんじゃないかと思いました。これはストリートアートと現代美術のお互いの為になっていくんじゃないかなという気がします。特に日本のアート界っていうのは閉鎖的だし、ストリートカルチャーはストリートカルチャーで独特の雰囲気があるじゃないですか。一般人は近づきにくいというか。そういうのを軽く飛び越えられる可能性がHITOTZUKIにはすごくあると思う。
きっとストリートカルチャーの中でも細かく色々なカルチャーがあると思うんだけど、それぞれのカルチャーの枠を超えたクォリティがあるからきっとHITOTZUKIは注目されるんじゃないかな。

R:例えばストリートアートと現代美術の二つの世界を橋渡す必要性は本当にあるのか?と考えた場合はどうでしょう。
K:難しいところだよね。要らないといえば要らないのかもしれない。それぞれの分野にはそれぞれの方向性があって、二つが交わらなくてもそれぞれ育っていけば良いっていうのも事実だし。それでも良いのかもしれないけど、でも何かそれだけでもつまらない気がするんだよね。
もうちょっとお互いを刺激出来るような動きが出てくることによって、両方とも刺激されてまた新しくて面白いことが生まれてくる。っていう意味では両者のリンクや行き来があっても面白いんじゃないかなという気はしますよね。
R:アーティストをブッキングし展覧会を作り上げるキュレーターという立場から見て、展覧会や作品の受け取られ方についてはどう思いますか?
K:いや作品や展覧会そのものが100%観客に伝わるなんてことはあり得ないですよね。
やっぱりアーティストと作品と観客の関係って、アーティストが作品を発表してしまうと、作品はアーティストの手を離れて解釈っていうのは観客に委ねられるから、そこでアーティストがやることっていうのは基本的には無くなると僕は思っているんです。
いろんな伝わり方をするのはアーティスト本人として本意ではないのかもしれないけど、やっぱり僕は“良い作品”というのは、一つの解釈だけではなくて色んな解釈が出来る作品だと思うんです。例えば「モナリザ」にしても色んな解釈が出来るわけで、謎の部分があるからこそずっと残っているっていうはあったりして。
展覧会に関しては、今回のことで言うと現代美術のアーティストもストリートアーティストも同時に並ぶという試みが、今はどういう受け取られ方をしているのかな?というのが楽しみなところですね。

R:では最後に、次はどのような企画をやってみようと考えていらっしゃるのか。何かあれば聞かせて下さい。
K:そうですね。今は日本のアートをどのように海外、特にアジアに紹介していくかということに興味を持っていて、その可能性を探っています。今年からシンガポールに拠点を持ち、毎月現地のアート関係者と話をしています。
それからパフォーミングアーツにももっと関わっていきたいと思います。彼らの表現を舞台とは異なる方法で紹介していけないかなという気持ちを持っています。
いずれにしても僕はアートがどのように社会に受容されていくか、ということに根本的な興味があって、それを自分なりの方法で一つずつ試していきたいと思っています。
■KENJI KUBOTA ART OFFICE: http://www.officekubota.com/
アートの現場の登場人物というのはアーティストだけではない。美術館やギャラリーがあって、キュレーターがいて、観る人や買う人がいる。
窪田氏のような実験的な試みを繰り返すキュレーターが、きっとこれからもアートの現場に新たな刺激やきっかけを与えてくれるだろう。
さぁ、私たちも今こそその新たな可能性に目を向けてみようではないか!
それが「芸術を可能にする」のかもしれない。










